スタッフ紹介
ふかみず歯科クリニック
院長紹介
スタッフ紹介

院 長

深水 康太郎
Kotaro Fukamizu
  • 昭和54年生まれ
  • 久留米市津福駅前の深水歯科医院の長男として育つ
  • 家族構成:妻、長女、長男
痛くなる前に予防する。怖くない、痛くない歯医者さんを目指して。

はじめまして、院長の深水康太郎です。この度は、ふかみず歯科クリニックのホームページを閲覧していただきありがとうございます。
ふかみず歯科クリニックは、従来の歯科医院に対する「怖い、痛い」などのマイナス的なイメージをできるだけ少なくして、「楽しい、痛くない、癒される」などのプラス的な新しいイメージに重点をおいた歯科医院として、私の地元である久留米市に開院いたしました。
どうしても今までの歯医者さんのイメージは痛くなったら行くというものでしたが、それでは虫歯や歯周病の根本的な原因である生活習慣(歯磨きや食習慣など)の改善ができずにどんどん口の中が悪くなっていきがちです。癌治療などとは違い、急に生死に関わる問題ではないので、歳をとったら入れ歯でいいやと諦めている方も多いです。

ふかみず歯科クリニック 院長

歯医者さんの仕事は虫歯を削ったり、詰めたり被せたりすることが第一と思っている方が多くいますが、それ以上に大事な仕事は患者さんに対する生活習慣の改善指導だと、私は考えています。日本人の口の中は先進国ではあまりよくない部類に入りますが、今までの歯科医療が削ったり被せたりする代替治療がメインであったためであり、今後は今まで以上に予防という概念を啓蒙していく必要があると考えております。
正しい生活習慣を心がけ、虫歯や歯周病を予防しましょう。そのために、ふかみず歯科クリニックではスタッフ一丸となって患者さんを全力でサポートいたします。

略歴
  • 久留米市立津福小学校 卒業
  • 久留米市立江南中学校 卒業
  • 佐賀県私立弘学館高等学校 卒業
  • 福岡県立九州歯科大学 卒業
  • 九州歯科大学第2補綴科 研修
  • 熊本県 伊東歯科医院 研修
  • 深水歯科医院 勤務
  • 福岡県 池田歯科大濠クリニック 勤務
  • 熊本県 まつなが歯科 勤務
  • 熊本県 前田歯科医院 勤務
  • ふかみず歯科クリニック 開院
ふかみず歯科クリニック 開業までの道のり
幼少期
3人仲良く遊んでいました 1970年代が終わる頃、福岡県筑後市にて深水家の長男として生まれました。
3つ離れた姉と妹にはさまれて育ち、女の子の遊びをすることが多く(そのせいもあるのでしょうか)おとなしく人見知りするような子供だったみたいです。
幼稚園〜小学校

幼稚園から小学校2年までを筑後市で暮らし、その後久留米市に引っ越すことになりました。もともと父が開業した場所が久留米だったので、生活の場もそちらに移そうということでした。物心ついてからは、どちらかというと筑後より久留米にいる期間が長かったので、自分の故郷といったら、久留米の方に感じます。

久留米での新しい生活にはすぐに慣れて、野球やサッカーをやる元気な少年に育ち、学校が終わって友達と遊ぶのが本当に楽しくてしょうがなかったのを憶えています。

小学校高学年
実家である深水歯科医院は父が初代で、自分が2代目ということは小さい頃から言われてきましたので、自然と自分が歯医者になることは当たり前だと思っていました。
そのこともあり、小学校4年生になった頃には水泳、公文、習字といった習い事に加え、塾通いが始まりました。勉強は自分のためにやるというか、周りの友達と一緒に競い合って勉強していたという感じだったと思います。
中学校
地元の公立中学に通うようになりました。中学では部活をせず、また塾に通い勉強ばかりの生活を送っていたので、当時はいい成績でまじめな生徒として過ごしていました。
高校
高校は、県外にある全寮制の私立男子高校に入学しました。初めて実家を離れることになり、慣れないことばかりで最初は大変だったのを憶えています。
寮生活は生活時間がびっしり決められており、高校生の自分にとってはきついイメージしかなかく、厳しさを実感していました。しかし、規律ある生活の重要性、限られた時間で集中してやり遂げること、集団行動の中での1人1人の責任など、当時を振り返ると寮生活ならではの体験を出来きたことはとても良かったと思います。
大学

親の助言、父の母校ということ、歴史が古いのでOBも多くそのメリットが大きいということが決め手になり、九州歯科大学を受験、合格することができました。
今まで勉強ばかりの生活だったこともあり、大学ではひとまず何か運動がしたくて、以前より好きなバスケをしようと思い、バスケ部に入りました。

大学のバスケ部仲間 バスケ部はバリバリの体育会系で練習もきつかったのですが、同時にお酒の飲み方も体育会系ならではのノリで、もともとお酒は強くなかったこともあり何回も潰れていました。そんなこんなで、勉強面では友人の助けを借りることもありましたが、バスケ部のおかげでかなり充実した楽しい大学生活を送ることができました。

そして国家試験にも合格でき、晴れて歯科医師になることができました。

大学卒業、研修

卒業してからの進路は、すぐさま開業するのか、研修医として働くのか、ものすごく悩みました。自分の中にまだ基準となるものがなかったので、まず見る目を養い、それから開業するのも遅くないと思い、経験を積むためにもまずは研修医になる道を選びました。
研修期間は1年間で、大学で8ヶ月、研修施設の開業医に4ヶ月それぞれ研修へ行きました。

研修中の頃 大学での8ヶ月間は、第2補綴科(現 口腔再建リハビリテーション学分野)に入局しました。第2補綴の細川教授に出会い、インプラントについて勉強したいと思ったのがきっかけです。
そして大学での研修後、熊本にある伊東歯科という大きな病院に研修医として勤務しました。ここではたった4ヶ月間でしたが、大学とは違う開業医の忙しさを体験し、臨床とはこういうものなんだなと、大学と開業医の違いを肌で感じることができました。
大学に在籍中、教授の紹介から他の病院にバイトに行ったりもしていました。そこで、私にできないことを、自分より若い衛生士がたやすくこなしているのを目の当たりにしたり、自分の力の無さを嫌というほど感じました。研修医生活を通して「自分は何一つたいしたことができない」ということを痛烈に感じたのです。
勉強不足が身にしみて分かり、何とかしなければと思いより精力的に勉強に励みました。

父との親子診療

研修医生活が終わりに差し掛かる頃、1本の電話が実家からかかってきました。
母からでした。「お父さんが脳梗塞で倒れた」
幸い命に別状はなく、麻痺なども残ることもなく今でも元気に診療しています。ただ当時は、これはすぐ実家に帰るべきだろうと思い、研修が終わるとすぐに実家に戻りました。
今まで盆、正月ぐらいしか実家に帰ってませんでしたので、正式に実家に戻るのは、高校以来でした。父とまともに話をするのも久しぶりだったように思います。こうして親子診療がスタートし、最初はうまくやっていけるか不安でしたが、分からないことは父に教えてもらいながらなんとか診療していきました。

父との診療 私は高校から研修医までの11年間ずっと実家を出ていましたので、思春期の時期に親と深く関わってきませんでした。自分の親はこんな人間だったのだと時間が経つにつれて分かっていきました。また親が苦労して病院を一から建てて、いままで自分を養ってきてくれたことがわかり、感謝と尊敬の気持ちを改めて感じました。一緒に仕事をしたことによって、そういうことをまざまざと感じ、改めて実家に帰って本当に良かったと思います。

経験を積み、開業へ
実家での診療が1年経ち、歯科医師としての基本的な技術面を父から学び、その後数件の開業医のもとで勤務医を経験して自分の臨床スタイルを確立していきました。
そして大学卒業10年目にして自分自身の開業のことを考えるようになりました。
大学同期生の中で開業するのは遅い方でしたが、経験を積むこともでき、周りからいろいろと情報を仕入れることもできて、結果的には良かったと思います。
開業のスタイルも実家に戻って親と一緒にするのか悩みましたが、自分の城ともいうべきもの を一から建ててみたいという思いが強く、実家の病院の一駅先の安武駅近くに県道沿いで車の便も良く、十分な広さもある土地での開業に至りました。
設計は岐阜のUDA建築設計さん、施行は八女のイノウエハウジングさんです。 開業へ
ふかみず歯科クリニック 開業

ふかみず歯科クリニック 開業
2014月1月から工事が始まり、7月に完成。
開業は一生に一度のイベントであり、それまでにつらいことも楽しいこともありました。もちろん今後もそうだと思いますが、この安武の地で地域の皆様に安心できる歯科医療を提供できればと思います。

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